灰山元治
MOTOHARU HAIYAMA
灰山元章
suureki-ID:019010326
1912年 (明治45年) 7月17日 (水) 生まれ、
広島県出身、男性、血液型は不明。
1987年 (昭和62年) 11月27日 (金)、75歳没。
ねずみ年 (壬子) 生まれ、かに座 (12星座)、七赤金星 (年九星)。
灰山元治(はいやまもとはる、大正元年(1912年)7月17日-昭和62年(1987年)11月27日)は、昭和初期に高校野球|中等野球他で活躍したアマチュア野球選手、プロ野球選手。投手・内野手。プロ入り後は灰山元章と改名した。広島県佐伯郡廿日市町桜尾(現:廿日市市)出身。プロでは活躍出来なかったが、旧制中学|旧制広島県立広島商業高等学校|広島商業で、昭和初頭の1930年は4番遊撃手として、翌1931年は4番エースとして全国中等学校野球優勝大会(現:全国高校野球選手権大会)連覇に貢献。さらに翌1931年の選抜高等学校野球大会|春選抜大会では、4番エース主将として選抜大会史上初のノーヒットノーランを含む3完封で、史上初の夏春連覇に導いた戦前の中等野球史を代表する名選手の一人である。野球の背番号#日本の野球|日本の野球史上初めて背番号が採用された1931年選抜大会に、エース番号1を背負い4番を打ち主将として優勝したことから元祖エースで4番ともいわれる。