田村丸
MARU TAMURA
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1943年 (昭和18年) 生まれ、
出身地不明、男性、血液型は不明。
2017年 (平成29年) 9月14日 (木)、73歳~74歳没。
ひつじ年 (癸未) 生まれ。
田村丸(たむらまる)は、日本鉄道が直営の青函連絡船航路開設のため、1906年10月1日、イギリス、スコットランド、:en:WilliamDennyandBrothers|ウィリアム・デニー・アンド・ブラザーズ社に2隻の同型の海峡渡船建造を発注した第2船であった。着工前の1906年11月1日、日本鉄道は鉄道国有法に基づき国有化されたため、逓信省鉄道作業局がこの建造契約を継承し、1908年3月、帝国鉄道庁が受領した。約1ヵ月先行して建造された姉妹船比羅夫丸が日本初の蒸気タービン船となり、本船は2番目であった。船名は発注当時の日本鉄道社長、曾我祐準の意向で、東北・北海道開拓に縁のある歴史的人物の名前より採ることとし、坂上田村麻呂から田村丸と命名された。16年余り務めた青函連絡船引退後は、稚泊連絡船として夏期2シーズン運航され、その後、四国航路、淡路島航路で運航された。